bc46th_pamphlet
19/60

 また科学技術の進歩により「脳化」が進む。解剖学者の養老孟司は、社会が進むと脳化も進むという「唯脳論」を唱えた。脳は神経を体の隅々にはりめぐらし、身体中の情報を収集して身体に起こることを予測し、統御・管理する器官であるが、これを外在化したのがコンピュータだ。こうして社会が脳化することにより起こるのが、身体性の欠如である。IT…の進歩によるヴァーチャルリアリティ(仮想現実)やメタバース(仮想空間)などをみれば明らかであろう。スポーツさえeスポーツとなり、身体性は極限にまで無化される。しかし、人間は身体を有するため、脳化が極度に進むと、どこかで大きな歪み(反動)がでると予測される。 脳化による身体性の欠如は「死の隠蔽(タブー視)」をも促進する。予測と統御を司る脳は予測と統御ができない死を忌避するからだ。テレビなどで死体が映し出されることはないし、死を象徴する火葬場でさえ死は隠蔽される。そこで遺体を焼却しているのに、火葬場の待合室はまるでホテルのように設えられているからだ。またエンバーミングという死体を生きているように処理する技術も発達している。しかし、人間は必ず死ぬ。「生まれて生きて死ぬ」のが人生の真相だが、最後の「死」だけを隠蔽しタブー視して、人生が充実することはない。 最後に、科学技術の進歩がもたらす負の側面は「神話の知(物語)」の否定である。現在、科学で証明できないものは否定される傾向にあるが、科学の知が神話の知を否定すれば、人間は精神的窒息状態に陥ると私は見ている。また、科学技術の進歩とは直接関係ないが、今後の社会を考える上で重要な概念が「多様性(diversity)」だ。SDGs…の考え方の基礎にも多様性は重要な概念として存在している。…以上、今後の社会の方向性を特徴づける「自我の肥大化/身体性の欠如/死の隠…蔽/神話の知の否定/多様性の促進」などの問題を、仏教が培ってきた思想が解決する可能性を秘めていることを明らかにする。 ただし、問題はその実践主体である出家者(僧侶)だ。日本には、他の仏教国にはない檀家制度や世襲制度があり、残念ながら、これらが志のない出家者を輩出する装置となっている。他にも日本仏教固有の特徴として、戒律不在や教祖崇拝という問題も存在する。仏教思想には将来の多様な問題を解決する可能性があるが、出家者がそれを適切に応用実践しなければ、宝の持ち腐れとなるだろう。本講演では、そうならないための私見もあわせて提示したい。17

元のページ  ../index.html#19

このブックを見る