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育恩の峰より
奥之院思親閣別当 町田 英昭
水無月の「無」 無学の「無」(みのぶ誌2018年6月号より)

 鬱陶しい梅雨の季節を迎えましたが、誌友の皆様方には愈々ご健祥のことと存じます。
 私たちの回りには、通称とは別に、別称などの様々な呼び名が御座いますが、6月は「水無月」と異称されております。
 梅雨の季節、6月の異称が水無月とは、不釣合いな呼称だと感じましたが、水無月の「無」は連体助詞で、名詞と名詞をつなぐ助詞との事で「無」は「の」と解釈される為、水無月は「水の月」との意味だそうです。
 水無月の言葉の由来は、諸説あるとの事ですが、言葉の語源を探ると人生に深みが加わります。
 仏教には「学無学」と言う言葉があります。学は「有学」とも言い、知識や修行が足らず、学ぶ事の多い人の事です。それに対して「無学」とは、知識や修行経験が豊富で、学ぶ事の無い人を意味します。しかし一般には「学識の乏しい人」と解釈され、反対の意味に使われております。
 文字には、計り知れない深い意味が込められており、法華経などの経文の一文字一文字は、お釈迦様の真理であり、喜怒哀楽の人生の縮図とも言えます。
 日蓮聖人は、多くの書簡を認められましたが、その背景には仏教の真理は奥深く、言葉では到底説明できないとする「言語道断」との教えが、文字の重要性に立脚しているとも言えます。
 この言語道断も、一般には「許しがたく、とんでもない事」と解釈され使われる言葉ですが、この梅雨の季節は、外出も外仕事もまま為りません。
 晴耕雨読、ゆっくりと本を読んで知識を高めるも善し、また神社仏閣に詣で、自分自身を見つめ直す善い季節かも知れません。
 都会の雑踏を離れ、時間の流れを忘れさせる静寂な聖地、奥之院思親閣への御参拝を、お待ち申し上げております。

合掌