御廟域は、「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢に
せさせ候べく候」という
日蓮聖人のご遺言に従って建てられた廟墓、
1274(文永11)年のご入山以来
足かけ9年に亘って住まわれた御草庵跡など、
身延山の中でもとりわけ神聖な場所です。
由緒~日蓮聖人御墓と御草庵跡~
身延山は、日蓮聖人(1222-1282。以下、聖人)がその晩年の9か年を過ごされ、もっぱら法華経の読誦と弟子・信徒の教育に終始された所です。
聖人はお釈迦さまが法華経をお説きになっている霊山浄土を身延山に見出し、こここそ仏の栖家であり、自分にとっても永久の住所であると考えられました。そして身延山久遠寺を草創し、最後には墓をここに立てよ、魂をここに留めると仰せられました。
そのご遺命によって身延山に御墓が立てられ、神霊が祀られることとなりました。
聖人の御墓を守り、その神霊を奉祀する身延山久遠寺は、祖廟格護の祖山・総本山であり、日蓮宗徒の帰敬をうけるのみならず、聖人を仰ぐあらゆる人々の広い信仰を集めています。
当所は、その聖人の御墓と、聖人9か年ご生活の御草庵跡、霊山浄土感得の霊域、身延山久遠寺草創の聖地をお守りする場所となっています。
御聖日
日蓮聖人のご命日にあたる毎月の13日には、久遠寺祖師堂で法要が営まれ、祖廟では聖人に報恩のまことをささげる御聖日の行事が行われます。
祥月命日の10月13日にはお会式が一大行事として盛大に行われ、とくに12日お逮夜に行われる万灯練り供養行列は活況を呈しています。
祖廟輪番奉仕
本弟子六老僧輪番給仕の古例のとおり、祖廟へ輪番奉仕することは、日蓮宗全寺院住職・檀信徒にとっての大事な務めになっています。
日蓮宗宗制の定めにしたがって、全国の日蓮宗寺院住職・檀信徒は日々奉仕につとめ、祖廟に参拝しています。
奉仕参拝にあたり当所へのご要望がありましたら、ご遠慮なくお申し出ください。
※詳しくは輪番奉仕のご案内をご覧ください。
祖廟域ご案内
案内図は図③御廟法務所で配布しております。
<久遠寺本堂からの道順>(徒歩約10~15分)
(1)斜行エレベーターでせいしん駐車場へ
道なりに西谷参道を下る
(2)図①竜潜橋から参道を進む
ご首題や献香献花を申し込む場合は
③御廟法務所へお越しください
<三門、下町商店街からの道順>(徒歩約10~15分)
(1)三門から道なりに西谷参道を上る
(2)図①竜潜橋から参道を進む
ご首題や献香献花を申し込む場合は
③御廟法務所へお越しください
※御廟域は急な坂道が続きます。
詳しくは境内案内をご参照ください。
祖廟域案内図
御草庵跡 <案内図⑩>
石造の玉垣に囲まれた正方形部分は聖人が9ヵ年のご生活をされた御草庵跡です。
聖人はここで法華経の読誦と弟子・信徒教育のための法門の談義、さらには多くの曼荼羅本尊や、厖大な著述・消息の執筆などに明け暮れました。
聖人の御入滅後、身延山久遠寺は時代とともに発展を遂げます。室町時代、身延山第11世日朝上人の時代には将来のさらなる発展を期して現在地へと移転されましたが、御草庵跡は聖人が霊山浄土を感得された霊域であり、身延山久遠寺発祥の聖地でもあります。現在に至るまで日々、御草庵跡の格護と守衛が続けられています。
かたわらには身延山第78世日良上人によって記された「御草庵旧跡修理の記」の碑石も立っています。
祖廟塔 <案内図⑥>
拝殿の正面に厳然と聳え立つ祖廟塔が日蓮聖人の御墓であり、聖人の「墓をば身延に」というご遺命にしたがって立てられたものです。
聖人の御墓は、「祖師の御廟」であり祖廟、または御廟と呼ばれ、これに架けられた塔を祖廟塔、御廟塔といいます。
この塔中には聖人の御舎利を安んじた創建当初の五輪塔の御墓が納められています。五輪塔に刻まれた「妙法蓮華経」の五字は、聖人の本弟子・日昭上人あるいは日向上人の筆であると伝えられています。
祖廟拝殿 <案内図⑥>
祖廟を拝礼するための建物で、千鳥破風、御所向拝丸太建築桧皮葺きの造作です。
拝殿内の頭上中央に掲げられている「立正」の大額は昭和天皇より賜った勅額で、大正天皇から聖人に賜った「立正大師」の贈り名にちなんだものです。
拝殿の下、階段の昇り口中央には一本灯籠(正面の「大光普照」は法華経の経文)があります。
霊山橋 <案内図④>
祖廟や御草庵跡などに参拝するための石橋で、聖人の御消息にもしばしば登場する身延川に架けられています。
霊山とは、お釈迦さまが法華経をお説きになっている法華経の霊山浄土のことです。聖人は「かの月氏の霊鷲山は本朝この身延の嶺なり」あるいは「仏菩薩の住みたもう功徳聚の砌なり」などと仰っており、この地に霊山浄土を感得されました。
霊山浄土感得の霊域へ詣でるための橋としてこの名前が付けられました。
歴代墓所 <案内図⑦>
祖廟に向かって右側の奥にあり、第二祖・佐渡阿闍梨日向上人以来の身延山久遠寺歴代上人の墓があります。
聖人の御入滅後、聖人の本弟子6人(六老僧)を中心とする月交代の輪番制によって祖廟格護が続けられましたが、聖人の七回忌を機に住職制が敷かれることとなり、本弟子のなかから日向上人が選ばれ第二祖となりました。
聖人を開山に仰いで日向上人が第二祖となり、以降は連綿と継承されて現代に至っています。
直弟子直檀廟 <案内図⑧>
祖廟に向かって左側の奥にあり、白蓮阿闍梨日興上人、南部(波木井)実長公、阿仏坊日得上人、富木常忍公の母・常日尼の4人の納骨塔・供養塔があります。
直弟子とは聖人から直接の教えをうけた弟子のこと、直檀とはおなじく聖人から直接に教化をこうむった檀越(信徒)のことを指します。
白蓮阿闍梨日興上人は、佐渡阿闍梨日向上人とおなじく聖人の本弟子6人の一人に選ばれた高弟でした。地元の甲斐・駿河に生まれ育った地縁もあり、よく輪番に努めて身延山の護持にあたりました。
南部公は、聖人を身延山に招いて支援につとめた檀越で、後には身延全山を寄進して久遠寺発展の基礎を築きました。身延山開基の大檀那として敬待されています。
富木公は、聖人が最も信頼された檀越の最重鎮でした。亡き母の遺骨を首にかけて下総の国若宮(千葉県市川市中山)の自邸から身延山に登り、聖人の回向を受けるべく、亡母の遺骨をここに葬りました。これが身延山への納骨の始まりとなっています。
阿仏坊は佐渡の人であり、流罪に処せられていた聖人の教化によって改信し、以来、聖人の流人生活の不自由を助けました。聖人が身延に入ると、遠路を厭わず老体をおして三度も聖人を訪れたほどの純情一徹な篤信者でした。三度目の登山はなんと90歳であったといわれています。没後、その遺骨は息子・藤九郎守綱の首にかけられて身延山に登り、その願いのごとく、聖人のお側に眠ることとなりました。
篤信廟 <案内図⑨>
直弟子直檀廟の左側一帯にあり、篤信丹精者の供養墓碑が並んでいます。
徳川家康の側室で、篤信者として知られる養珠院、黄門の名で親しまれる水戸徳川光圀の母・久昌院、丹後宮津京極高国の母・寿光院、会津の保科正之の母・浄光院、加賀前田利家の室・寿福院、刈谷三浦共次の母・寿応院などで、その大きな墓碑に、当時の権勢と篤信者の身延山への護持丹精のほどをうかがい知ることができます。
法界堂 <案内図⑪>
聖人の御草庵のおもむきを今に伝えるために、その形を模写・縮小しながら建造されたもので、聖人ご在山のご生活を偲ぶことができます。
雫の桜 <案内図⑫>
身延山に隣接する下山郷に住んでいた因幡房は、噂に聞いた聖人の教えを聞きたいと、夜毎ひそかに御草庵をうかがい、かたわらの桜の木の陰に身を潜めては、戸外に漏れる聖人の説法聴聞につとめ、聖人の尊さに信伏して弟子となることを許されました。
説法聴聞のため時に夜の更けるのを忘れた因幡房の衣は、その桜の木から滴る雫で濡れてしまいました。以来その桜は雫の桜と呼ばれるようになり、代を重ねた桜が現在まで伝わっています。
聖人の弟子となった因幡房は、念仏者であった父・下山五郎光基の嫌忌をうけたものの、聖人のねんごろな導きをうけて事なきを得、父もやがて聖人の教えに帰伏していきました。
水屋 <案内図⑤>
参詣者の清め、手水のために設けられています。屋内に自然石を繰り抜いた水盤をおき、そこへ身延川の清水を導いています。
常唱殿 <案内図③>
正面を透かしガラス張りにした殿堂で、祖廟塔に正対しています。
祖廟を拝礼するための建物であり、はじめは常経殿、その後は一時、常唱殿と称していました。平成12年5月1日からは常唱殿が正式名称となりました。名前には「常に参拝者の祖廟拝礼の唱題が盛んにおこなわれるよう」という願いが込められています。
御廟法務所 <案内図③>
祖廟や御草庵跡、歴代墓所など祖廟域内の格護・守衛と関係法務を行う場所で、常唱殿に事務所が置かれています。
一時、名称に混同がありましたが平成12年5月1日からは御廟法務所が正式名称となっています。
祖廟参拝に関する受付、祖廟尊前への献香献花の受付なども、ここで行えます。
納骨塔 <案内図⑬>/身延山教師廟 <案内図⑭> ほか <案内図⑮、⑯>
納骨塔・身延山教師廟は、いずれも常唱殿の対面にあります。
聖人信徒であった富木公の亡母の納骨、その直後の阿仏坊の納骨を始めとして、身延山への納骨は時代をへて盛んになり、国内外多くの信徒の遺骨が納められてきました。それらの遺骨が埋納合葬して供養するところが納骨塔(13)です。
その右隣には身延山に納められた日蓮宗教師の納骨を埋納合葬して供養する身延山教師廟(14)があります。
また、左下方には海外での布教活動に挺身した日蓮宗海外開教先師顕彰碑や納骨塔(16)、護国英霊供養塔(15)もあり、いずれも納骨塔・身延山教師廟とともに日々の供養が行われています。
護国英霊供養塔のかたわらには、吉田茂の「いさましは 高し東亜の たたかいに 国にささげし みたまやすかれ」という弔悼慰霊の歌碑も建てられています。
竜潜橋 <案内図①>
参道の入口の樋の沢川に架けられた橋です。
かつてこの辺りは鬱蒼とした杉木立に覆われ、橋下には竜が潜むようなおもむきがあったことからこの名がつけられたといいます。
参拝はこの橋を渡ることから始まりますが、祖廟聖域では喫煙や犬を引いての歩行はご遠慮いただいております。ご理解とご協力をお願いいたします。
参道 <案内図②>
竜潜橋からまっすぐ伸びる道が祖廟参拝の正参道です。正式な参拝はこの道を通って行われます。
報恩橋
洗心洞と呼ばれるトンネルをくぐった先にあり、参道からの参拝が困難な方のために架けられた橋です。歩行が困難な方、車椅子の方はこの橋から直接祖廟拝殿下に参拝いただけます。その他の方は、必ず参道・霊山橋からの参拝をお願いいたします。
献香献花
祖廟で日蓮聖人の御尊前へお花とお香を奉納したい方は、案内図③御廟法務所にてお申し込みください。
祖廟尊前献香献花浄納規定
1日分として | お一人 2,000円以上 |
3日分として | お一人 5,000円以上 |
7日分として | お一人 10,000円以上 |
1か月分として | お一人 30,000円以上 |
6か月分として | お一人 100,000円以上 |
1か年分として | お一人 200,000円以上 |
詳細は申込書をご参照ください。申込書はお送りすることも可能です。下記までお問い合わせください。
お問い合わせ
日蓮聖人御墓・御草庵跡格護
【身延山久遠寺御廟法務所】
〒409-2524 山梨県身延町身延3628
TEL 0556-62-0104
FAX 0556-62-0448